「多分」や「ちょっと」でぶれる思考

 

 

あなたは、自分の意見を言うときに

「多分」や「若干」、「ちょっと」、「おそらく」

など、確率が曖昧な意味を表す言葉を使いますか?

 

 

 

どうも、大学生です。

 

 

私は何か意見を述べるときに、上述の言葉を多用してしまいます。

 

自分の気持ちを話すときでさえ、曖昧な意味を表す言葉が意識せずとも口をついて出てきます。

 

 

何故でしょうか

 

 

それは、自分の意見に自信がないから

 

に集約できるでしょう。

 

 

ここで、言葉を受け取る側を考えてみましょう。

 

 

 

受け取る側は、「多分」と言われると、発信者の意見や言葉に確信を持てません(当たり前です)

 

すると、受取手は発信者の情報がどこまでの確実性を持っているのか、常に考えながら情報を受け取ることになります。すなわち、受取手は常に負担を抱えながら情報を受け取ることになります。

 

負担を抱えながら情報を受け取ることは、受取手をして、理解力を低下させます。なぜなら、負担付きの情報は受取手の集中力を削ぐからです。

 

 

一方で、発信者に話を戻しましょう。

 

 

思考は言葉を繋いだ文という単位で構成されている文章に規定されます。考えていることというのは、実のところ、思考者の文章のくせに規定、決められているのです。

 

 

そうだとすると、「多分」などの不確定性を有する言葉を単位とする文章が規定するのは、曖昧な思考ということになります。

曖昧な思考は隙を発生させます。ここでいう「隙」というのは「説得力」に関する隙です。すなわち、曖昧な思考は発信者の説得力に穴を発生させます。

 

穴のある説得力では、相手をして意見に納得させることができません。発信者の意見に相手を納得させることができないということは、発信者の、受取手との関係での力関係を低い位置に置くということです。

 

すると、受取手が確実生を有する意見を発信した段階で、発信者の不確実性を有する意見が負けてしまいます。

 

 

 

議論において、さらに広げて会話において、楽しさや充実さは意見の交換によって生じます。

隙のある意見は、隙のない意見によって一方的に殴られるため、意見の交換のレベルが低下します。意見の交換のレベルが低下すると、当然、発生する楽しさや充実さもレベルの低いものとなります。

 

 

 

 

隙の生じぬ意見を言う。

そのためには、思考を規定する文章や文、言葉に留意する必要があります。

 

 

そんな話でした。

 

 

bye